Lady Merry の日記

Yahooブログから引っ越してきました。

さようならTeena Marie

昨夜、何気なくyoutubeを仕事場で見てたら、関連動画で「Teena Marie Die」って・・・。
何かの悪い冗談かと思ったら、アップロードはつい先日・・・。

今日はこれから実家に帰りますが、その前にあらためて・・・。

ビルボードで確か二位くらいまでヒットしたLover Girlだけではそんなに感動しなかったと思うけど、
その後、Out On A Limb、・・・アルバム、Star Childの完成度の高さ、
そして数年後大ブレイクしたOoo La La La・・・、
白人でありながら黒人のソウルミュージック、ダンスミュージックを歌い続けたティーナ・マリー

その彼女が亡くなった・・・
恋人リック・ジェームスも早くに急逝したが、その後を追ったわけでもないだろうに・・・。



悲しすぎる・・・。
下に有名アーティストのコメントなどを・・・

http://bmr.jp/news/detail/0000010037.html
ティーナ・マリーは80年代に活躍し、
近年も現役で活動を続けていたミュージシャンで、
ほとんどの曲を自身で作詞作曲、そのヒット曲の数々が現在もサンプリングやカバーされるなど人気。
白人女性ながらブラック・コミュニティからの圧倒的な支持を得た特異な存在だった。
また、82年に契約していたモータウンに訴訟を起こし、
新曲などをまったくリリースしないままアーティストを契約で縛るのは違法である、
という判決を手にした。
これは後にThe Brockert Initiative(Brockertはティーナ・マリーの出生名の姓。
Teena Marie Law=ティーナ・マリー法とも言う)と呼ばれ、
この判例によって多くのアーティストがレコード会社から不当に契約で縛られることから解放された。
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モータウンの創設者ベリー・ゴーディ(Berry Gordy)
「彼女はものすごいソウルの持ち主だった……彼女の中で白いのは肌だけだったよ。
ティーナ・マリーはいつまでもモータウン・ファミリーの一員だ」

ライオネル・リッチー(Lionel Richie)
「非凡な人だった。あらゆるストリートのヴァイブを持ち、あらゆるR&Bの歌声を聴かせた……
才能という言葉があるのなら、それは彼女の中に溢れかえっているものだろう」

エディ・リヴァート(Eddie Levert)
「歌の面でいえば、彼女は私が知る中で最も‘黒い’人のひとりだ」

メアリー・J.ブライジ(Mari J. Blige)
「子供の頃、歌の面で影響を受けた。髪をとかしながら鏡の前で歌ってたわ。
だからすごく辛い。
あなたの音楽はいつまでも私の中で生き続ける。愛してるわ。」

ラッパーのQティップ(Q-Tip)
「若いシンガーが彼女が残してくれたこの青写真を引き継いでくれることを願いたい」

レニー・クラヴィッツ(Lenny Kravitz)はビデオコメントを発表。
ストリート・ミュージシャンだった16歳の時にティーナに目をかけられ、
住む場所や食事、楽器を与えてもらったり、レコーディングセッションに連れて行ってもらったりと
‘育て’られたことを声を絞り出すようにして明かし、
「今までこのことをこんなに話したことはなかった。でも彼女がいなければ俺はいなかった。
アーティストとしてだけでなく、人としても人生を変えてくれた。
ここ数年は連絡を取っていなかったけど、ティーナにいつも愛し尊敬していると伝えたい」




いかん・・・、
涙でディスプレィが見えない・・・。


彼女の死を受けて、どの動画でも書き込みが・・・。